石井 奈緒 石井 奈緒 42ヶ月前

夏蔦コラム 『花の記憶』 第二回 ‐ ‐誰そ彼(たそかれ) ‐ ‐


萩、藤袴、桔梗、葛、女郎花(おみなえし)、撫子、秋桜、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、野葡萄、柿や栗・・・
そんな植物たちの実りが秋の訪れだった頃のことです。

茜色の黄昏時、町内放送からこどもの声で「もう帰る時間になりました」とアナウンスが流れます。



黄昏の元は「誰そ彼」だそう。薄暗くなった頃、暗くてみえないけれど、あなたは誰?あれは誰だろう?という意味から。


帰りのアナウンスが聞こえてからは、真っ暗な闇に変わるのがとても早く、夏にはなかったもの哀しい空気に包まれます。冬ほどは服を着込んでいないので、肌が外に近い感じが夜は何となく怖くて、小さかった私は家路を急ぎました。
時には隣にいたお友達でさえ、顔が見えず怖く感じるほどでした。



思い返せばこの頃から、秋は夜に川沿いの道を通るのが嫌になったり、月に光る波を見るのが怖くなっていました。

確か高校生の頃まで、見えないものが生きている感覚がずっと側にありました。
地中から出てきてうごめく虫たち。
むわんと香るむせるような草の匂い、暗闇、静かな夜。
身近な植物を採り食べたり、魚や猪や雉の肉をご近所さんから頂く暮らしが、そう感じさせていたのかもしれません。



高知県香南市、山と海の町。街灯はほとんどなく、家もぽつりぽつり。月が出ない夜は、家の窓から溢れる光以外は真っ暗で、草木が揺れるのさえ、びくつきました。
外に繋がれている顔見知りの犬たちの声に励まされながら、足でこぐ力で光る自転車のライトだけが頼りです。小さく照らされたアスファルトの凹凸だけ見える道を立ちこぎで急ぎます。



秋の夕暮れ、美しい夕日の空の色、至るところに実る柿の木たちのシルエット、山へ帰る鳥たちの姿。これが終わると、得体の知れない怖いような蒼白い月が出る夜のはじまりです。
家に着いても、恐怖はとれません。夏は家の敷地内にある作業場で、お芋の選別作業をする両親がいるのですが、秋は家から離れた胡瓜のビニールハウスにある作業場で、夜遅くまで働いています。
兄や姉も年が離れていたので、誰もいない家に一人いるのが怖くて、両親が帰るのを心待ちにしていました。

ただでさえ怖いのにトイレは外に造られており、男性用と女性用に別れていて、幼心に今隣に誰かいたら…とゾクゾクしていました。

私は玄関を出て金木犀の香る庭を小走りでかけぬけ、女性用の扉へ一目散。息をしないで扉を閉めます。
トイレの中では、少し開いた小窓から見える暗闇から吹き込む隙間風に恐怖を感じます。大きな磨りガラスからは暗闇が透けて見えるので、私はまわりを見ないと決め、一点だけを見つめていました。帰りもざわつく庭木の葉音に怯えながら、また玄関のドアへ急ぎます。
庭の金木犀は、昼間には穏やかな光を受けて香り、散る小花も可愛らしいものでしたが、外に造られたトイレのせいで、夜の金木犀は恐怖の香りへと変わるのです。




金木犀の記憶ががらりと変わった年があります。今でも金木犀がふっと香ると、脳裏に浮かぶあの場所。
上京してから半年ほど経ち、一人暮らしに少しだけ慣れた大学生の私はスーパーに寄り、まだ夏服のまま腕に吹いてくる秋風を感じて、何となく寂しい気持ちになっていました。道すがら、ふっと香った金木犀のあるお家。窓から透ける橙色の光に、実家を思いました。
足を止めると、そのお家のお風呂場から漏れる子供達の声、キッチンに立つお母さんの影。その様子にとても安心して温かい気持ちになったその時の私が、金木犀の香りとともに蘇るのです。

その後、季節が幾度か巡って恋人が出来、お酒を飲んだ帰り道。
肌寒くなってきた近所を散歩していると、ほのかに香ってきた金木犀。
その甘い香りの中に恋人の側を歩く少し大人になった私も思い出します。

忘れていた金木犀と茜色の黄昏の記憶について徒然に想う、そんな秋の夜長でした。




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この記事のライター

石井 奈緒
石井 奈緒

1985年生まれ。高知県香南市出身。
関東在住。
実家は農家で自然豊かな環境で育つ。
東京を拠点に活動、草花を通じて琴線にふれるような、いとおしくなる、そんな花束を喜んでもらえたらと全国へお届け中。
実店舗を持たない花店「夏蔦」の店主。

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