川崎 景介 川崎 景介 42ヶ月前

ユリのある楽しき和歌人生 大伴家持



大伴家持(おおとものやかもち)

(718~785年)


率川奈良県の三枝神社では、今も毎年6月17日に祭りが行われ、
ユリを手にした巫女が舞いを披露します。
この舞いは神社の祭神である媛蹈鞴五十鈴媛命、
つまり初代天皇である神武天皇の皇后のために奉納されます。
姫が神社近くの三輪山のふもとに住んでいたという伝承があり、
そこにササユリが群生していることからこの花が捧げられるのです。
ちなみに三枝とは十分に成長すると茎に三輪の花を咲かすササユリの別名です。このように重要なユリですが『万葉集』ではわずか10首しか詠まれていません。
しかもその半数が一人の歌人、そう、大伴家持の作品です。
『万葉集』に収録された4500首強の歌のうち家持の歌は470首あまりで、
全体の1割以上をも占めます。まさにスター歌人ともいえる活躍ですが、
そんな家持の生涯は決して順風満帆ではありませんでした。
由緒正しき家柄のせいもあり、豊かな教養を身につける機会に恵まれ、
家持は都で天皇警固の職や律令次官を歴任し順調に出世します。
しかし、29歳のときに都を後にして越中(現在の富山県)に
現在の行政官である国守として赴任します。
都を離れ、同年代の仲間と比べ出世が遅れてしまった家持。
また最愛の弟の死を乗り越え、国守の任務を地道に全うします。

もともと家持は争い事を嫌ったともいいます。
学問を好み、歌を愛したエリートは、
むしろ地方に封ぜられたことで陰謀の渦巻く都から距離を置き、
感性の求めるままのびやかに歌を詠める幸せを噛みしめたのではないでしょうか。
赴任先で招待された宴の席でユリの花をあしらった髪飾りを贈られた家持は
「さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ」
(ユリの花ですね、また後々も逢いたいので今もこうして親しくしてくださるのですな)と詠みました。
花のユリを今後の意味の後(ゆり)とかけた、いきいきと洒落た歌です。

イラスト/高橋ユミ
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この記事のライター

川崎 景介
川崎 景介

花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。

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