植物生活編集部 植物生活編集部 2017/01/24

バラ好きなら、 絶対知っておきたい物語。 [01] 育種家

今こそ、日本生まれのバラを堪能する!

 
日本で生まれたバラがあることをご存知ですか?
数多くの品種が流通している日本の花の現場。
常にマーケットから求められる新しい品種。
 
そこに情熱をかける育種家や生産者が日本には数多くいます。
新品種誕生への熱い思いと挑戦、
そしてオリジナル品種ならではの個性的なネーミングコンセプトなど、
知るほどにバラへの愛情が高まるエピソードを特集します。
 

育種家 バラとともに

 
浅見均(兵庫県加東市)
ー赤バラへの挑戦と奇跡ー
 
 「バラの花束」という言葉が出てきたとき、
世の多くの人は真っ赤なバラで束ねられた花束を想像することが多い。
もちろん、花を生業にしている人にはバラには多くの品種があり、
色もカラフルで、花形、香り、大きさなど多種多様であることはよく知られている。
 ひとつの品種が時代を作るということは、しばしばあった。
特に高度成長期から80年代~90年代のバブル期、90年代後半の成熟期にかけ、
大きな波が来た。
 さまざまなバラの品種があるなかで、
ひとつに‘ローテローゼ’があげられるだろう。

 
1986年ごろから生産が増えていった‘ローテローゼ’は、
2010年まで国内での赤バラの生産量No.1品種であった。
現在も首位は‘サムライ08’に明け渡したものの、驚異的なロングセラー品種である。
 
「当時は、本当にいい赤いバラがなかった。黒ずんだり、明るすぎたり、丈が短かったり、それがローテの出現で様変わりした」とまで言われるほどだった。
 
 そんな‘ローテローゼ’を生み出した育種家が浅見均さんである。
25歳ごろからバラの育種を手がけるようになり40年。
 
浅見さんは
兵庫県伊丹市の生家は農家ではなかったが、
植物が幼い頃から大好きだったという。
今もバラ以外に野菜や米、果実などが浅見さんのハウスでは旺盛に育っている。
植物好き、栽培好きが高じて大学では小麦の育種を学んだ。
25歳のときに、縁があって故郷の伊丹市にあるイタミローズガーデンヘ就職。
イタミローズガーデンは古くから「バラの育種」を手がけており、
切り花バラ品種としては‘マダムビオレ’や‘ニューウェーブ(フォルム)’などが有名である。
ここで浅見さんはバラと出会う。
バラの育種を学び、独立を志した。
ドイツでは長期滞在し、試験栽培にチャレンジしたり、
岐阜の河本バラ園では個人的にハウスを借りて育種を行った。
その後、現在の兵庫県加東市へ移住しハウスを建てる。
育種と切り花生産を行っていたが、現在は育種のみで市場出荷などの生産は行っていない。
 

 
そんな浅見さんは、自らの育種の終わりとして、最後の交配を行った。
新しい品種を作る「育種」という行為は驚くほどに労力と時間がかかる。
春に親になるバラを交配させ、
種を収穫し植え付け、花を咲かせ、それから選抜を重ねていく。
 
バラの花を交配させてから、生産できるような状態になるまでは
早くて4年、遅いと10数年かかることもある。
 
ほぼ毎年、バラを交配させ種を収穫し、選抜を重ねていたが、
それが2014年の冬限りで最後という決意をした。
 
ただ、新たな交配をせずとも、
すでに選抜されたバラが品種として生まれる可能性はまだまだある。
 
 「切り花バラの品種として選抜するには、いくつかの条件がある」と浅見さんは語る。
赤バラに関しては一つ大きな条件がある。
「新しい赤いバラが生まれたら、まず蛍光灯の下で花色を見る」
育種を始めた当初はどの家庭も蛍光灯が中心の生活。
「蛍光灯は花を綺麗に見せない。特に赤いバラは綺麗に見えないことが多い」。
ローテローゼ以前の赤バラは蛍光灯下で見ると黒く見えることが多かった。
それが、ローテローゼは蛍光灯でも美しい赤色というのがロングセラーの秘訣であったという。
 
自宅で飾って綺麗に見えないものは、売れるわけがない、と語気を強める。
だからこそ、花をもらって飾るときに美しく見え、
本来の魅力が伝わる花を世に出したかった、と当時を振り返る。
 
80年代多くの家庭では蛍光灯が一般的だった。
「赤の色が一番、光で見え方が変わるから、特に気をつけている」と今でも咲いた花を蛍光灯でチェックすることは欠かさない。
太陽の光が入る温室で見たように室内でも美しく見える花でなければ、
どんなに他の性質が条件をクリアしていても選抜から落とす。
そこは徹底して行っている。
迷ったときは株を残し、長く様子を見る。
花色や花形などはどうしてもトレンドが影響するため、機が熟すのを待つことも多く、
いわゆるデビュー待ちの品種も数多い。
 
「作った品種の中でもまったく良さがわからないのは‘ロマネスク’」と笑いながら話す。
最後の交配から生まれた種とそれ以前の交配で生まれた株から
‘ローテローゼ’を超える赤バラを誕生させたい。
それが浅見さんの最後の育種の目標である。
赤バラの代名詞として歴史に、そしてこれからの時代に残る品種の誕生をゆっくりと心待ちにしよう。


浅見均さんが手がけた主な品種






 
text & photo 月刊フローリスト 撮影/タケダトオル(生産地)、中島清一(品種) データ協力/株式会社大田花き
 

育種家
名前:浅見均  Hitoshi Asami
プロフィール:1948年兵庫県生まれ。1984年アサミ・ローズ・セレクションを設立。新品種の育成と切り花バラの生産を手がける。1986年に‘ローテローゼ’を作出。他にも45品種ほど作出している。‘ローテローゼ’の功績により、1996年「大矢好治顕彰会大矢賞」受賞。2014年「民間部門農林水産研究開発功績者表彰農林水産技術会議会長賞」受賞。現在は一般の人にバラの育て方を教えるスクールも開催している。
 

  • 1
  • クリップ
  • 埋め込み

この記事をシェアするには埋め込みコードをコピーしてSNSやブログに貼り付けてください。

この記事のライター

植物生活編集部
植物生活編集部

「植物生活」とは花や植物を中心とした情報をお届けするメディアです。 「NOTHING BUT FLOWERS」をコンセプトに専門的な花や植物の育てかた、飾り方、フラワーアート情報、園芸情報、アレンジメント、おすすめ花屋さん情報などを発信します。

直近の記事