植物生活編集部 植物生活編集部 16ヶ月前

スタイルの移り変わりを 書籍・雑誌で読む 「日本の花束」 

ブーケのスタイルの移り変わり

今では大切な日のプレゼントとして頻繁に贈られているフラワーブーケ。
日本でも華道や盆栽といった草花を楽しむ風習はありましたが、色とりどりの花を手に持てる形にアレンジしたブーケは、欧米文化の到来とともに普及し始めました。

やがて西洋の花が日本に持ち込まれ、近代化とともに花を飾る楽しみ方も多様化していくことに。
当時の人々が残した資料とともに、花文化の発展の軌跡をお楽しみください!
   

約100年前

幕末から明治にかけて日本には西洋からさまざまな物や文化が入り、社会に受容されていきました。

鑑賞用の植物も種苗の輸入や栽培が始まり、明治の中頃には国内での西洋草花やランの温室栽培などが盛んに行なわれるようになりました。

やがて営利栽培を目的とした規模の大きな生産者も徐々に増え、市場を通して花や鉢物が広く流通するようになります。
当時から「生産と利用は車の両輪」と言われており、数多くの雑誌や書籍によって花の利用の仕方、楽しみ方が紹介されてきました。

まだ多くの人々が和服を着ていた時代に、ギフトの花かごや宴会の装飾、キリスト教式の結婚式、葬儀に用いる花環など洋風の花卉装飾について丁寧に解説する記事がありました。

需要を生み出そうという意欲もあったと思われますが、一方で、富裕層を中心に、このような情報を必要としているフローリストが全国にいたことが想像できます。

ここでは、書籍や雑誌を通して「花束」や「ブーケ」がどのように紹介されてきたかその様子を見ていきましょう。
 

「花束(ぶーけー)」とは婦人に贈る花束をいいます。
手に持てるような形と重さが重要だと説明。花材、花を支える台紙の作り方、針金・鉛紙・リボンなど資材の使い方が紹介されています。

図では、ステムを長いまま使いますが、折れないようにすべての花茎にワイヤーを添えていました。
「鉛紙(えんし)」とは、当時「銀紙(ぎんし)」とも呼ばれ、瓶の口などを密封するために使われていました。
ステムを台紙(ホルダー)に入れるときには使いません。
 

前田曙山は、劇作家として数多くの作品を残しています。

園芸、高山植物などにも詳しく、著作のほか園芸雑誌も出すほどでした。
この本は花卉装飾全般について基礎技術からデザインまでとても分かりやすく書かれています。

装飾に使う西洋草花はもちろん、装飾用の葉物についてかなりの分量を割いて解説しています。
この図では、花嫁のブーケとブートニア(襟挿)について説明。

リボンも長く垂らすのがこの時代の特徴。
 

約90年前




「実際園芸」(大正15年~昭和16年)は、大正・昭和の日本を代表する園芸ジャーナリスト、編集者、園芸研究家として知られる石井勇義氏が主幹となって発行された人気の園芸雑誌。

戦後は「農耕と園芸」に引き継がれています。大正15年10月の創刊号ではカーネーションとバラの大きな花束をグラビアページに掲載。装飾用の「葉物」を花に添えます。
 



『実際園芸』の優れて実際的な見せ方がこのような分解写真。制作過程がよく分かります。
バラを添えながら細紐で巻きつけます。

葉物はアジアンタム。
手元は最後に「銀紙」(またはリボン)で包み、手元を飾るために幅広のリボンを結ぶ(※当時の銀紙はチョコレートの包み紙のようにアルミ箔を紙に裏打ちしたものだと思われます)。

花嫁のブーケはスズランと、ランやバラのような花で作られています。葉はアジアンタムのようです。

アメリカでの作例かも知れない。「シャワー型」と呼ばれ、シフォンなどで作ったたくさんの装飾のついた細いリボンが長く下がっているのが印象的です。

後述の池上順一氏の記事によると、アメリカのブライダルブーケでは、スズランと白バラの組み合わせが最も一般的に用いられていたといいます。
 

約80年前


池上順一氏は、東京府立園芸学校を卒業後、渡米、カリフォルニアで花店を経営し、昭和9年に帰国した。記事では結婚式全般の解説。

婚礼の花束では、シャワー型、アーム型、コロニアル型があります。
花をつけたパラソルや聖書にガーランドを下垂させた特殊なものもあるといいます。

シャワー型は、花束の前方だけでなく、手元の方にも花を向けて束ねていきます。
たくさんの細いリボンを下げるのが特徴的で普通は8本から12本、24本といったところだが、時には36本、60本という場合もあるといいます。
 

永島四郎氏は、アメリカでの10年におよぶ研究を終えて帰国。
「婦人公論花の店」を開きました。

写真は、西銀座の電通ビル1階に開店した花店の広告を兼ねた記事です。。

花かごやコーサージ、当時はまだ珍しい贈答用のボックスフラワーの他、結婚式のブーケなどを作品写真と合わせて紹介しました。
自信と意欲あふれる内容になっていました。

コサージと結婚式のコロニアル・スタイル・ブーケ。
すべて永島さんの作品。
 

戦前、当時のスズランとカトレアのブーケ。永島四郎氏の作品。
小さなスズランの花も非常に丁寧に束ねられ上品な仕上がりになっています。
ここでも太幅のリボンとともに細いリボンがたくさん下がっています。

私たちの人生の中で華やかな花束が欠かせないイベントと言えば、結婚式。
高度経済期で人々の生活が豊かになる中、ブライダル業界では斬新なデザインのブーケが次から次へと生み出されていました。

現代では頻繁にみられる可愛いフォルムで人気のラウンド型ブーケや、様々な花をミックスしたアレンジメントの原型はこの時代に生み出されたものなのです。
様々な作品例を見ていると、この時代の先人たちの試行錯誤があってこそ今の花文化が存在していることを実感させられます。

約60年前

1957年(昭和32年)『花のデザイン』 永島四郎著 新樹社刊
永島四郎氏の最初の著作。

当時、花のデザインを学ぶテキストになるものがまだほとんどなく、多くのフローリストがこの本を繰り返し見ながらブーケを作っていたといいます。

戦前と違って、花嫁のブーケは小ぶりになっています。

永島さんは「細長いリボンをたくさん垂らす、といったデザインはもう古くさい、リボンはできるだけ必要な分だけにするほうが現代的だ」と書いています。

当時は白いカーネーションとアスパラガスというパターンが多かったといいます。
 



約50年前

月刊『ガーデンライフ』(誠文堂新光社)の別冊として出された『フラワーデザインのすべて』は、1968年(昭和43年)に続いて、ハードカバーの改訂新版が翌1969年(昭和44年)に出版されました。

表紙はどちらも笠原貞男氏が制作。

白いコチョウランを使っているところが当時、最新のトレンドだったという。
当時、第一線で活躍するフラワーデザイナーが数多く作品や記事を寄せています。
教室案内や広告なども含めて貴重な記録となっている。
 





見開きページ中央は大石寛氏の解説。
外側4点と下は、1966年、恵泉女学園が主催し、アメリカのデザイナー、ビル・ヒクソン氏を招いておこなった「ブライダルショウ」の様子。
 

text & photo  月刊フローリスト  
取材・文/松山 誠(花のクロノジスト)







 
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