草木をめぐる仕事〈 第3回・前編 〉萩尾エリ子さん──ハーバリスト
草や木、花や果実。植物といういのちと日々向き合い、親密な時間をともにする人々に話を聞くインタビュー連載『草木をめぐる仕事』。第3回は、日本におけるハーブ研究の草分けであり、信州・蓼科の老舗ハーブショップ「蓼科ハーバルノート・シンプルズ」を拠点に植物の豊かさを伝える、ハーバリストの萩尾エリ子さんにお話をうかがいます。
ハーバリストとして、また自然豊かな蓼科の住人として植物と深くかかわりながら、植物の力によって人々が心や体を回復させていく姿を数多く目にしてきた萩尾さん。植物の力といっても、森林浴からアロマテラピーに至るまで思いつくものは多岐にわたりますが、だからこそ萩尾さんはこれまで、植物をめぐる化学と神秘のバランスを心がけてきたと言います。
東京から蓼科に移り住んで42年。この地で「自由になれた」と語る萩尾さんが考える植物の力、植物の豊かさとは、どんなものなのでしょうか。まずは、6月に訪れたラトビア、リトアニアへの「ハーブの旅」の話、長く続けてこられた病院でのハーブやアロマのボランティアのこと、そして私たちを包んでくれる「緑の気配」について。
(取材日:2018年6月22日 文&写真=河野アミ)
自然に畏敬の念を持ち続けるバルトの人々
──6月にラトビアとリトアニアへ行かれたんですよね。いかがでしたか?
ひとことで言うと、標高はまったく違うのに、ここ(蓼科)と植生がよく似ていました。そして、どちらの国でも緑たちが非常に大事にされていて、人々は木や草を守り、彼らに力をもらいながら生きている。それがよくわかりましたね。
──ハーブもよく使われているようですか?
伝統的に、よく使う国のようです。風邪だったらこれ、こういう時はこれ・・・って。薬局にもハーブ由来のものがとても多かったし、ハーブティーもたくさん。今回は植物に近い仕事をしている人たちに会いに行ったので、余計にその印象が強いとは思いますけど、自然に対して畏敬の念を持ちながら暮らしているんだなとは感じました。
ラトビアの森の中でハーブを使ったセラピーやワークショップをしている、リーガ・レイテレさんという女性がいるんですね。その方に会いに行って、いろいろ体験させてもらったんです。ラトビアにはピルツと呼ばれるサウナがあって、リンデンバウムなどの植物を束にしたもので身体を叩くんですよ。ここ(蓼科ハーバルノート)の入り口にも置いてあるでしょう?
──ドライフラワーのブーケのようなものですね。
そう。それで叩きながら、なにか詠唱みたいなことをする。それが、いわゆる観光客向けというのでなく、この土地に根付いていて、ずっと昔から当たり前にやってきたものなのがわかるんです。
こういったセラピーを行う場所はリトアニアにもあって、そこはクナイプ療法の発祥地でもあるんですね。この施設でも、自然に委ねたいろいろなセラピーを受けられるんですが、出てきた食事も素朴でね。森のキノコやジャガイモを使ったりと、私がレストランをやっていた頃のメニューによく似てて(笑)。
さっき植生が似ていると言いましたけど、それ以外でも、ここの環境や私の感覚と似ているなあと感じることは多かったですね。
──ハーブやセラピーを生業としない人たちは、どんな感じなんでしょう。やはり伝統や自然を重んじている様子ですか?
私が滞在したのはほんの数日ですから言えることは少ないですけど、ハーブ的なことで言えば、やはり薬草茶や薬用酒はよく飲むようでしたよ。ラトビアは古くから薬用酒の文化もありますしね。
それから、案内をしてくれたラトビア在住のご夫婦がとても誇らしげに話してくれたことの一つに、コウノトリの話があるんです。ラトビアはコウノトリが多くて、電柱の一番上に、大きな巣をよく作るそうなんですね。大きな鳥だから巣も大きいし、そのままにしておくわけにもいかない。
じゃあどうするかというと、新しい電柱を持ってきて、電線はそちらに繋ぐんですって。向こうの電柱はコンクリートではなく木でね、彼らは「むやみに木を斬らないんです」と。先祖代々、そうやってきたそうなんです。
──人の暮らしと自然とが切り離されていない感じがしますね。日本も昭和の中頃までは、今よりもっと自然が身近で、風邪くらいなら台所にあるもので治すような風景が日常でしたが・・・。
そうですね。そういう意味では、今の日本はお薬の世界になってしまいましたからね。なにかあれば、とにかく病院に行くという。それを否定はしないし、医療に恵まれているのはありがたいことなのだけれど。
──自然と離れすぎてしまって、別の問題が大きくなってしまっているかなと。
自分の命について自分で考えるという部分が、少し希薄になっているかもしれませんね。病院やお医者さんに「私の病気はなんでしょうか」「よろしくお願いします」という、頼るばかりになってしまって。現代医学で救われる命もたくさんあるので、そこは保ちながらも、ラトビアやリトアニアで出会った風景のように、自然とも共生していける世の中であることが望ましいように思いますね。
諏訪中央病院のハーブ・ガーデンでは「緑の気配」を作りたかった
──今日は萩尾さんが長くやってこられた、ハーブやアロマを使った病院でのボランティアのお話もうかがいたいと思っています。先日、萩尾さんが手がけられた諏訪中央病院のハーブガーデンを拝見しましたが、広いし、木々は生き生きしているし、ひと休みできるガゼボまであって、これが病院の庭とは!と感動しました。あの庭は30年ほど前にできたそうですが、当時この病院の院長、医師だった、今井澄さんと鎌田實さんの発案ですか?
最初に言い出したのは私です。ちょうど病院が郊外に移転する時だったので、「あそこにハーブガーデンがあったらいいと思いません?」って。そうしたらお二人も「いいね、やろう」と言ってくれて。二人の間で、ガーデンの構想が共有できたんでしょうね。
──病院にハーブ・ガーデンを造ろうと思ったきっかけは、どういうものだったんですか?
私の祖父が、庭が好きな人だったんですね。子ども時代の私は病弱で、父母の間にいろいろなことがあったりもしたものだから、体調が悪かったり寂しかったりしたんです。そんな時、その庭にいると心地が良かった。隣の野原から、はらはらと桜の花びらが舞ってきたり、体もまだ小さいから、庭が森のように感じられたりもして。
人って本当に具合が悪いと、外に出ることもできないでしょう? 弱った人は、日射しさえも眩しくてつらい。木漏れ日のほうがいい。木陰があって、風が吹くと葉がしゃらしゃらとそよいだりね。祖父の庭で鳥の声を聞いたり、本を読んだりしていた時に、子どもながらに「ああ、私は今、生きてるんだな」と思ったりして。だから、そういうものを病院に造れないだろうかと思ったのが、元々のきっかけです。
──ハーブ・ガーデンでは、園芸療法のようなこともやっておられるんですか?
園芸療法については、ハーブ・ガーデンを造る前後に見せてもらう機会はありました。ただ、療法になってしまうと(療法の成果を)評価するという要素も入ってくるんですね。そういうものではなく、私はそこに「緑の気配」を作りたかったんです。
気配というのは、多くを包み込んだり、抱いたりするもの。実際、植物を少し持ってくるだけで、緑の気配はもうそこにあるんですよ。花屋さんに行くと、ひんやりとした、空気がすーっと澄んだ感じがするでしょう? あれが緑の気配。
──わかる気がします。
(蓼科ハーバルノートに)時々みえていた訪問看護の看護師さんから、ある末期の方になにかしてあげたいんだけど、どうしていいかわからないと、相談の連絡を受けたことがあるんですね。その方はご主人をすでに見送っていて、自分はがんになり、もう時間がないからと、家財道具もほとんど処分していたそうなんです。相談してくれた看護師さんはアロマなども習ってはいたけど、そういうのはお金もかかるから、なかなか・・・ね。
それで彼女に「家のまわりに草が生えていませんか?」と聞いたら「ない」と言うので、私のほうでたくさん摘んで、バッと箱に詰めて送ったんです。そのご病気の方のそばに飾ってみてって。そうしたらその方が「すごく気持ちがいい」って、花の水を替え始めたそうなんです。たぶん、少し、「生きる」感じになったんですよ。これが、緑の気配。こういう話は、まだまだいっぱいあります。
──医学的な治療とは別のところで、生気を回復させるというか、植物にはそういう力がありますね。私も家族を病院で看取っていますが、諏訪中央病院のハーブ・ガーデンを見た時に、こんな庭でひと息つくことができれば、闘病の大きな助けや慰めになっただろうと思いました。
本当にそうです。あの庭に行くと、ひとり静かに佇んでいたり、問わず語りに話しかけてこられる方もいます。あの庭は入院患者さん以外にも、さまざまな人が立ち寄りますが、なにもない人はいませんからね。身体は元気でもストレスを抱えていたり、家族が病気だったり、誰もがいろいろなものを抱えているんです。
──あのハーブ・ガーデンは、現在は萩尾さんを含む「グリーン・ボランティア」の方々で世話をされているそうですが、このグループで野草の花束を販売したり、アロマのハンドトリートメントを行う催しも、年に2回開かれているんですよね。院内で土の付いた草花を扱ったり、入院患者さんも部屋着で花束を買ったりアロマトリートメントを受けたりしていて驚きました。こういったことに厳しい病院も少なくない思うので。
あの病院は、アレルギーの問題さえなければ、どんな植物を持ち込んでも大丈夫なんです。野で摘んだ花を持って行くのもOK。アロマトリートメントは、病棟の看護師さんが患者さんに声をかけて、希望者を募ったりもしてるんですよ。アロマは、関心を持つ医師や看護師も増えてきましたね。アロマテラピーの学会も立ち上がってきているし。少しずつ変わってきているとは思います。
患者さんの表情が変わり、心も体も緩むのがわかる
──諏訪赤十字病院の精神科でも定期的にアロマトリートメントをされていますよね。
元々は、精神科病棟の師長さんが、病院の屋上を使って園芸療法のはしりのようなことをなさっていて、ハーブ教室をやってほしいと相談されたんです。それで、屋上の植物を使ってハーブティーやクッキーを作ったり、染色をしたり、匂い袋を作ったり、思いつくかぎりのことをやったんですね。
でもしばらくして病院が新しくなり、それまでの形では続けられなくなった。それで、もう少し香りを使ってみようと、アロマトリートメントを始めたんです。ハンドバスをして、手、足、背中などのできるところを精油を使ってマッサージして、お茶とお菓子をお出ししてます。こちらのボランティアもどんどん増えているんですよ。昨日は10人以上いたんじゃないかな。
──アロマトリートメントをすると、患者さんになにか変化は見られますか?
それゆえにね、受け入れてこられたんじゃないかと思うんです。トリートメントをすると患者さんの表情が変わって、心も体も緩むのがわかる。最初は嫌がっていたのが、帰る頃には「ありがとう」になって、次を楽しみにしてくれる。3カ月くらい入院されている方だと2~3回は会うわけですが、会うたびに変わっていくのがわかるんです。
そういう様子を見ていて、最近はトリートメントの時に看護師さんがついて記録を取るようになったし、これはもう10年以上やってますけど、希望があって、職員向けにもやってるんですよ。医師から清掃の方まで、病院の職員であれば誰でもOKで。
──アロマトリートメントをですか?
そうです。最初のうちは勉強会のような感じで理論を伝えていたんですけど、これは実際に感じたほうがいいとなり、今ではすっかり人気です。体験した医療関係者が、がん患者さんの予後に関する勉強会にアロマテラピーを持ち込んだり、そこで学んだ患者さんがアロマを覚えて、一緒にボランティアをやったりもしてるんですよ。循環してますね。
植物をめぐる化学と神秘。二つのバランスをとることが大切
──メディカルアロマという言葉も定着してきましたし、統合医療の一環だとか、高齢者施設や介護の現場でもアロマテラピーを取り入れるようになってきたようですね。以前、精油の研究をなさっている医師に、認知症への効果をうかがったこともありました。
どの芳香成分が、どんなことに効果があるか、わかってきましたからね。分析というものが可能になった時に、それはかぎりなく薬学に近づいてくるんです。でも、それだけじゃない世界が植物にはあるわけだから、両方をきっちり押さえれば、次の世代に渡せるものになると思います。
(病気に効果があると言われるものの中には)迷信や思い込みといった、よくわからないものもあるから、「よくわからないけど効く」という状態のまま持って行くのはダメなんですね。私がハーブに触れてきた数十年の中で、わかるところはわかってきたけれど、まだまだわからない不思議や神秘もある。この両方のバランスをとる、偏らないということは、つねに心がけてきました。
──萩尾さんが認定講座を開催されているNARD(ベルギーの拠点を置くメディカルアロマの研究・普及機関)の創設者も、化学と神秘のどちらにも偏るべきでないと言っていますね。
今の時代は混沌としていて、怪しいものもあれば、怪しくないものもある。そして人はやっぱり「藁をも掴む」って、あるんですよ。医療に携わっている友人たちも、「掴まないでくれと思うけど、掴まざるを得ない時があるのはわかる」って。そういう時はなにを言っても聞こえない。だから、なるべくフラットなところでしっかりとやっていくことが、私がこの仕事をやり続ける意味だと思っているんです。
それとね、志を持ってハーブやアロマを始めた方から、どうやったら(施術者として)病院に入れるか、どうやったら私のようなことができるようになるかと、よく聞かれるんですけど、それはやっぱり信頼関係なんです。悪いものではない、人に害を与えるものではない、むしろ喜ばしいものだということを「見せて」いかないとダメ。そこは非常に慎重にやってきたし、信用してもらうにはとても時間がかかりました。でも、だからこそ今こうやって、いろいろなことができているんですよね。
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■お話をうかがった人
萩尾エリ子 HAGIO ERIKO
ハーバリスト、ナード・アロマテラピー協会認定アロマトレーナー。
1976年、東京から蓼科に移住。八ヶ岳山麓の自然を師に、園芸、料理、染色、陶芸、クラフトを学び、開拓農家の家屋を借りて、ハーブショップ「蓼科ハーバルノート」を開く。
1992年から1999年までレストランを併設、同時に10年をかけて荒地から3,000坪のオーガニック・ガーデンを造園。また、諏訪中央病院のハーブガーデン・プロデュースとグリーン・ボランティア(園芸ボランティア)を興し、現在も同病院で活動。諏訪赤十字病院精神科ではアロマ・トリートメントを中心としたボランティアを行っている。
主な著書に『香りの扉、草の椅子』(地球丸)、『八ヶ岳の食卓』(西海出版)、『ハーブの図鑑』(池田書店)。
ホームページ http://www.herbalnote.co.jp
Instagram https://www.instagram.com/herbalnote_simples
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この記事のライター
河野 アミ
河野アミ 編集者&ライター。 東京と安曇野を行ったり来たりしながら、ミュージシャンのインタビューから人々の暮らしにまつわるあれこれまで、幅広く聞いたり書いたり作ったりしています。企画編集した主な本は、サンプラザ中野くん「125歳まで楽しく生きる健幸大作戦」(ファミマドットコム)、関由香「ふてやすみ」(玄光社)、美奈子アルケトビ「Life in the Desert 砂漠に棲む」(玄光社)、高嶋綾也「Peaceful Cuisine ベジタリアン・レシピブック」(玄光社)など。