植物と暮らす おうち時間 第6回 フリーランスキュレーター / 石田紀佳さん
「植物と暮らす おうち時間」
今回はフリーランスキュレーターの石田紀佳さんにご登場いただきます。
紀佳さんは〈草木と手仕事〉という “暮らしの中で日々手を動かすことの充実感を伝える活動” をメインに、執筆、食にまつわる活動に至るまで様々なものごとを繋ぐお仕事をされています。
お住まいを代々木上原と神奈川の里山にある畑小屋の二箇所に構え、都会にいながらにして自然とも触れあえる暮らしを営んでいる紀佳さん。
草木をこよなく愛する紀佳さんに、植物との暮らしについて伺いました。
(写真 1枚目 川しまゆうこ)
紀佳さんにとって植物とはどんな存在ですか。
「植物のない生活というのは考えたことがないですね。人間の家族と一緒に暮らさないということがあっても、植物と暮らさないということは考えられないかな。
10代のころ東京で最初に一人暮らしをした時は、二階に住み、青じそをプランターで窓辺栽培しましたが、その後は必ず一階の庭付きにしてきました。
特に何かを栽培するというより、そこにいる草木を見たり、摘んだり、生けたり、食べたりと。ただそこに植物があるだけでいいんです」
「しばらく前のことですが、将来のことで悩み、どうしていいかわからない悶々とした暮らしを送っていた学生時代。
その当時の家は、本当に小さな日陰の庭でしたけれど、その庭の植物たちをしゃがみこんでじっと見ていましたね。
すると、好き勝手に生えているように見える雑草が実はそうでなく、それなりの場や秩序を得て生えているのが見えたときには胸をつかれました。
それからすぐに前向きになったわけではないけれど、言葉にできない思いを、植物たちに受け取ってもらっていたような」
「十数年前に縁があり、神奈川県の里山に畑小屋を借りるまでは、都内の神社に度々行って大きな樹の元で過ごしたり、道端に生える草花にあうために散歩をしたりしていました。
これぞ道草ですね。思い返せば子供のころから道草ばかりしていたような気がします」
紀佳さんが草木に惹かれ続けるのには何か理由があるように思いますか。
「植物は “自分のこころそのもの” のような気がするからかな。
草木を通して自分を見つめているというか。
自分の年齢や状態によって草木が語りかけてくることに変化があるんですよ。
最近は、 “老いていく姿” について示してくれるような気がしています。
どのような環境でどんな風に枯れて、終えていくのか、そして、つないでいくのか。種子を残したり、根本に新しい芽を出したり、土に還ったりね。
枯れ逝く草花との出合いが多くなる秋の季節は、何とはなしに背筋がのびます」
特に好きな植物はありますか。
「好きというより、印象深いものとして “ゆきのした” でしょうか。
10年ほど前にも友人と『何の花が好き?』という話題をしていた時にこの名前を出したのを覚えています。その時、普段物静かな彼女が大きな声を出して共感してくれたのも心に残っていますね。
小さな白い花がちらちら揺れて音が鳴るようなんです。白い花もよく見ると黄色や赤も見えて、なんとなくピンクがかっています。つるのようなランナーもきれいだなと」
「20代のころに暮らしていた〈やまびこ荘〉というアパートの日陰の庭で育ったゆきのしたを、白いボウルに入れてバイト先の八百屋さんに持って行ったのも思い出のひとつ。
その日陰の庭には名前を知らない草もあって、そんな中にゆきのしたもいました。
ゆきのしたの葉は、当時いっしょに暮らしていた 〈ほたる〉 という名のしっぽだけ三毛の白い猫の傷を治してくれたこともありました。猫の額ほどの庭の草で猫の傷が治ったんですよ。
それから年月が経って、草花との体験も増えてきたので、ゆきのしたが一番好きな花とはあえて言わないけれど、見るとしみじみとしてきますね」
「他には、大抵そこいらに生えている植物に心ひかれます。虫が一緒にいたらなおいい。
たとえばハルジオン。ハルジオンにヒラタアブさんがやってきたら、もうノックアウトです。里山にあるマダケの竹の子には毎年あまりの艶かしさにどきりとさせられますね。
フラワーレメディを本格的に学びだしてからは、レメディに使われている類縁の花で身近にあるものにも注目し始めました。
たとえば畑小屋の近くにノイバラの立派な木があって、季節には秘密の花園のような雰囲気に。じっと見ていると、どうしてこの花がレメディに使われるのかもわかってくるものですよ」
「あとはコケ類にも、はっとさせられるときがよくあります。大雑把にものを見て急いでいる時なんかに、ふと気づくとコケが側にいることが多いかな」
紀佳さんは野に咲く花のイメージが強いのですが、お花屋さんでも草花を求めることはありますか。
「元々はさりげない草花が好きで、お花屋さんに行くことはあまりなかったのですが、お花屋さんで出合ったクレマチスに助けられたことがあります。
ある冬に個人的にしんどいことがあって、近所の花屋さんでオーストラリアから来たというクレマチスの鉢を買いました」
「夜、何も手につかなくなると、その薄緑がかった白い花をただただ眺めて時を過ごす。夜に花がぼおっと浮き上がるんですね。
“花咲く美しさって力だなあ、お花屋さんがあってよかった、よくぞ地球の反対側から来てくれた” とつくづく『ありがとう』という気持ちになりました。
きっと私と同じような気持ちの人はたくさんいるのでしょう。
大輪のバラではなくて、少し頼りなげに、でも優雅な姿のオセアニア系のクレマチスがその頃の私にはちょうどよかった。
植物には出来るだけ無理のないように、自然な状態でいてほしいという思いが強いです。でも、この星に咲くさまざまな花は、縁のあるところに遥々旅をして、ときに人を慰めてきたのも事実だなと感じるようにもなりました。
それ以来、お花屋さんをよく覗いています」
紀佳さんが室内に草花を取り入れる時に何か工夫していることはありますか。
「鉢植えは寒い季節を除いて外に置いているし、意図的に室内に草花を生けることは、実はほとんどなくて。
縁があった子たち、たとえば剪定や間引いたほうがいいとか、畑の通り道に出ていてたまたま足にあたったとか、そんな時に限って、自分では室内に生けています。このアジサイも剪定したものなんですよ」
「室内で植物を育てたり生けたりするときは、せっかくうちにきてくれたのだから、彼らにも心地よい場所で、私達の目にもつくようにと思っていますね。
場所は固定せずに移して飾っています。例えば切り花や切り草だと、しばらく仕事机の上にいたら、洗面所や台所など涼しくて暗いところに移して、また机の上に来てもらうとか。
うす暗いところにいけると、華やかになるし草花も長持ちするからいいなと思って。
食卓の上には、ハーブを生けることが多いですね。食事のときに葉っぱをつまんで、夫や訪れた友人とそれぞれ好きに食べたり、お茶に浮かべたりします」
「ただ稀にではありますが、こんな草花が欲しいな、一度、側で暮らしてみたいと、こちらの欲望が出てしまって、彼らに適していない場所に連れて来てしまうことも。
最初はその場に適していなくても、だんだんと慣れていくということが植物にもあるのですが、あまり無理なことを強いるのは出来るだけやめていますね。
畑での栽培も、今後一切種蒔きはしない、という夢があります。こぼれ種だけで育っていく畑ができたらいいなと。どうなるでしょうか」
紀佳さんは、自然素材を用いた手仕事や、お手当などをご自身でも暮らしに取り入れ、紹介を続けられています。活動を始められたきっかけはありますか。
「物心ついたころから植物に目が向いていたし、手を動かすのも好きでした。
たぶん小学生低学年くらいからかな、『ぜんぶ自分で作ったもので暮らしたい』というのが夢で。
お茶碗などはもちろん、服、家具、家も。お花屋さんにもなりたかったな。
大人になってからも、できれば作りたいと思ってきました。
多くの専門的な作家さんを知っているので技術的には敵わないのをわかっているのだけれど、自分も手を動かしたい。
ただ、どうしてもプラスチック製品や機械は作れない。なので尚更、作り方が想像できるものづくりや、植物を用いた食、お手当などを大切にしている感覚ですね。こちらはハルジオンで作ったピクルスです」
「何でも自らの手で作り出す原始人の暮らしぶりなんかにも、すごく興味があるんですよ。
ざっくりいうと、産業革命以前の手仕事は、素材と工程が目に見えやすいし、今でもやろうと思えば、巧拙はあるにしても誰にでもできます。
そんな手仕事の基本をおさえた上で今を生きていたい。
生活必需品のものづくりが自分の目に見えないところで全て出来上がっているというのは、私としては心許ないのです。リアリティがなくてつまらないなというのが正直なところ」
「AIとかロボットの問題だって、本当は手仕事と繋がっているのだと思いますよ。
急に飛躍したような気がしますが、元を正せば石油も天然素材ですし、IT産業もものづくりなのですから。
専門分野の分業はまだまだ進むのでしょうけれど、全てを “あなたまかせ” にして生きることになったら、どうなるのかな。そこがAIなどの恐いところではないでしょうか。
だからこそ、目にみえる素材での手仕事を、ちょっとした体験ではなく、暮らしのリズムの中に取り入れていきたい。
そしておせっかいにも、こんなことをしているよ、と他の人にも伝えているわけです」
最後に、植物が大好きな紀佳さん、植物以外の楽しみがあれば教えてください。
「うーん、植物から離れた趣味というのは考えられないかもしれないです。
音楽を聴きながら縫い物するのは好きだけれど、縫い物の素材も植物であることがしばしば。ウールでも羊は草を食むしね。
本来私たちは草木から離れることができないのかもしれませんね」
手仕事を単発ではなく、日々の営みの中に取り入れて生きていきたいと、いつの頃からか私も願うようになりました。
私は何かを作りたいという欲がある方なのですが、まず何か作るとしても、身の回りのことが出来ていないようではスタートラインにも立てていない気がしているのです。
そして、矛盾するようですが、もしかすると自分は何か生み出さなくても良いのかもしれなくて、ただ実感のある暮らしがしたいだけなのかもしれないという予感もあります。
紀佳さんのようにどんな小さな草花からも色や形を見い出し、繊細な感性を持ってして毎日を過ごしていけたら、これほど豊かなことはないかもしれません。
次回の更新もどうぞお楽しみに。
うかがった人
石田紀佳 / フリーランスキュレーター、バッチフラワーレメディプラクティショナー
世田谷ものづくり学校にて、無料の公開庭仕事を週に一度ほど行っています。
詳細はこちらから 巡る庭:http://meguruniwa.blogspot.jp/
季節の草木と手仕事のお知らせ
草木と手仕事:https://www.facebook.com/plantsandhands
草作家矢谷左知子さんとの共同ブログ
草虫こよみ:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
朝日カルチャーセンターとNHK文化センターにて季節の手仕事講座開催
柿渋ぬりのちりとりづくり
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/448fd42c-345e-4009-b03a-5b5178db19dd
コンニャクづくり
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1151732.html
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1161486.html
著書:
藍から青へ 自然の産物と手工芸 建築資料研究社
草木と手仕事 plants and hands 薫風堂
魔女入門 暮らしを楽しくする七十二候の手仕事 すばる舎
今回はフリーランスキュレーターの石田紀佳さんにご登場いただきます。
紀佳さんは〈草木と手仕事〉という “暮らしの中で日々手を動かすことの充実感を伝える活動” をメインに、執筆、食にまつわる活動に至るまで様々なものごとを繋ぐお仕事をされています。
お住まいを代々木上原と神奈川の里山にある畑小屋の二箇所に構え、都会にいながらにして自然とも触れあえる暮らしを営んでいる紀佳さん。
草木をこよなく愛する紀佳さんに、植物との暮らしについて伺いました。
(写真 1枚目 川しまゆうこ)
草木と手仕事といつも一緒に
紀佳さんにとって植物とはどんな存在ですか。
「植物のない生活というのは考えたことがないですね。人間の家族と一緒に暮らさないということがあっても、植物と暮らさないということは考えられないかな。
10代のころ東京で最初に一人暮らしをした時は、二階に住み、青じそをプランターで窓辺栽培しましたが、その後は必ず一階の庭付きにしてきました。
特に何かを栽培するというより、そこにいる草木を見たり、摘んだり、生けたり、食べたりと。ただそこに植物があるだけでいいんです」
「しばらく前のことですが、将来のことで悩み、どうしていいかわからない悶々とした暮らしを送っていた学生時代。
その当時の家は、本当に小さな日陰の庭でしたけれど、その庭の植物たちをしゃがみこんでじっと見ていましたね。
すると、好き勝手に生えているように見える雑草が実はそうでなく、それなりの場や秩序を得て生えているのが見えたときには胸をつかれました。
それからすぐに前向きになったわけではないけれど、言葉にできない思いを、植物たちに受け取ってもらっていたような」
「十数年前に縁があり、神奈川県の里山に畑小屋を借りるまでは、都内の神社に度々行って大きな樹の元で過ごしたり、道端に生える草花にあうために散歩をしたりしていました。
これぞ道草ですね。思い返せば子供のころから道草ばかりしていたような気がします」
紀佳さんが草木に惹かれ続けるのには何か理由があるように思いますか。
「植物は “自分のこころそのもの” のような気がするからかな。
草木を通して自分を見つめているというか。
自分の年齢や状態によって草木が語りかけてくることに変化があるんですよ。
最近は、 “老いていく姿” について示してくれるような気がしています。
どのような環境でどんな風に枯れて、終えていくのか、そして、つないでいくのか。種子を残したり、根本に新しい芽を出したり、土に還ったりね。
枯れ逝く草花との出合いが多くなる秋の季節は、何とはなしに背筋がのびます」
特に好きな植物はありますか。
「好きというより、印象深いものとして “ゆきのした” でしょうか。
10年ほど前にも友人と『何の花が好き?』という話題をしていた時にこの名前を出したのを覚えています。その時、普段物静かな彼女が大きな声を出して共感してくれたのも心に残っていますね。
小さな白い花がちらちら揺れて音が鳴るようなんです。白い花もよく見ると黄色や赤も見えて、なんとなくピンクがかっています。つるのようなランナーもきれいだなと」
「20代のころに暮らしていた〈やまびこ荘〉というアパートの日陰の庭で育ったゆきのしたを、白いボウルに入れてバイト先の八百屋さんに持って行ったのも思い出のひとつ。
その日陰の庭には名前を知らない草もあって、そんな中にゆきのしたもいました。
ゆきのしたの葉は、当時いっしょに暮らしていた 〈ほたる〉 という名のしっぽだけ三毛の白い猫の傷を治してくれたこともありました。猫の額ほどの庭の草で猫の傷が治ったんですよ。
それから年月が経って、草花との体験も増えてきたので、ゆきのしたが一番好きな花とはあえて言わないけれど、見るとしみじみとしてきますね」
「他には、大抵そこいらに生えている植物に心ひかれます。虫が一緒にいたらなおいい。
たとえばハルジオン。ハルジオンにヒラタアブさんがやってきたら、もうノックアウトです。里山にあるマダケの竹の子には毎年あまりの艶かしさにどきりとさせられますね。
フラワーレメディを本格的に学びだしてからは、レメディに使われている類縁の花で身近にあるものにも注目し始めました。
たとえば畑小屋の近くにノイバラの立派な木があって、季節には秘密の花園のような雰囲気に。じっと見ていると、どうしてこの花がレメディに使われるのかもわかってくるものですよ」
「あとはコケ類にも、はっとさせられるときがよくあります。大雑把にものを見て急いでいる時なんかに、ふと気づくとコケが側にいることが多いかな」
紀佳さんは野に咲く花のイメージが強いのですが、お花屋さんでも草花を求めることはありますか。
「元々はさりげない草花が好きで、お花屋さんに行くことはあまりなかったのですが、お花屋さんで出合ったクレマチスに助けられたことがあります。
ある冬に個人的にしんどいことがあって、近所の花屋さんでオーストラリアから来たというクレマチスの鉢を買いました」
「夜、何も手につかなくなると、その薄緑がかった白い花をただただ眺めて時を過ごす。夜に花がぼおっと浮き上がるんですね。
“花咲く美しさって力だなあ、お花屋さんがあってよかった、よくぞ地球の反対側から来てくれた” とつくづく『ありがとう』という気持ちになりました。
きっと私と同じような気持ちの人はたくさんいるのでしょう。
大輪のバラではなくて、少し頼りなげに、でも優雅な姿のオセアニア系のクレマチスがその頃の私にはちょうどよかった。
植物には出来るだけ無理のないように、自然な状態でいてほしいという思いが強いです。でも、この星に咲くさまざまな花は、縁のあるところに遥々旅をして、ときに人を慰めてきたのも事実だなと感じるようにもなりました。
それ以来、お花屋さんをよく覗いています」
紀佳さんが室内に草花を取り入れる時に何か工夫していることはありますか。
「鉢植えは寒い季節を除いて外に置いているし、意図的に室内に草花を生けることは、実はほとんどなくて。
縁があった子たち、たとえば剪定や間引いたほうがいいとか、畑の通り道に出ていてたまたま足にあたったとか、そんな時に限って、自分では室内に生けています。このアジサイも剪定したものなんですよ」
「室内で植物を育てたり生けたりするときは、せっかくうちにきてくれたのだから、彼らにも心地よい場所で、私達の目にもつくようにと思っていますね。
場所は固定せずに移して飾っています。例えば切り花や切り草だと、しばらく仕事机の上にいたら、洗面所や台所など涼しくて暗いところに移して、また机の上に来てもらうとか。
うす暗いところにいけると、華やかになるし草花も長持ちするからいいなと思って。
食卓の上には、ハーブを生けることが多いですね。食事のときに葉っぱをつまんで、夫や訪れた友人とそれぞれ好きに食べたり、お茶に浮かべたりします」
「ただ稀にではありますが、こんな草花が欲しいな、一度、側で暮らしてみたいと、こちらの欲望が出てしまって、彼らに適していない場所に連れて来てしまうことも。
最初はその場に適していなくても、だんだんと慣れていくということが植物にもあるのですが、あまり無理なことを強いるのは出来るだけやめていますね。
畑での栽培も、今後一切種蒔きはしない、という夢があります。こぼれ種だけで育っていく畑ができたらいいなと。どうなるでしょうか」
紀佳さんは、自然素材を用いた手仕事や、お手当などをご自身でも暮らしに取り入れ、紹介を続けられています。活動を始められたきっかけはありますか。
「物心ついたころから植物に目が向いていたし、手を動かすのも好きでした。
たぶん小学生低学年くらいからかな、『ぜんぶ自分で作ったもので暮らしたい』というのが夢で。
お茶碗などはもちろん、服、家具、家も。お花屋さんにもなりたかったな。
大人になってからも、できれば作りたいと思ってきました。
多くの専門的な作家さんを知っているので技術的には敵わないのをわかっているのだけれど、自分も手を動かしたい。
ただ、どうしてもプラスチック製品や機械は作れない。なので尚更、作り方が想像できるものづくりや、植物を用いた食、お手当などを大切にしている感覚ですね。こちらはハルジオンで作ったピクルスです」
「何でも自らの手で作り出す原始人の暮らしぶりなんかにも、すごく興味があるんですよ。
ざっくりいうと、産業革命以前の手仕事は、素材と工程が目に見えやすいし、今でもやろうと思えば、巧拙はあるにしても誰にでもできます。
そんな手仕事の基本をおさえた上で今を生きていたい。
生活必需品のものづくりが自分の目に見えないところで全て出来上がっているというのは、私としては心許ないのです。リアリティがなくてつまらないなというのが正直なところ」
「AIとかロボットの問題だって、本当は手仕事と繋がっているのだと思いますよ。
急に飛躍したような気がしますが、元を正せば石油も天然素材ですし、IT産業もものづくりなのですから。
専門分野の分業はまだまだ進むのでしょうけれど、全てを “あなたまかせ” にして生きることになったら、どうなるのかな。そこがAIなどの恐いところではないでしょうか。
だからこそ、目にみえる素材での手仕事を、ちょっとした体験ではなく、暮らしのリズムの中に取り入れていきたい。
そしておせっかいにも、こんなことをしているよ、と他の人にも伝えているわけです」
最後に、植物が大好きな紀佳さん、植物以外の楽しみがあれば教えてください。
「うーん、植物から離れた趣味というのは考えられないかもしれないです。
音楽を聴きながら縫い物するのは好きだけれど、縫い物の素材も植物であることがしばしば。ウールでも羊は草を食むしね。
本来私たちは草木から離れることができないのかもしれませんね」
手仕事を単発ではなく、日々の営みの中に取り入れて生きていきたいと、いつの頃からか私も願うようになりました。
私は何かを作りたいという欲がある方なのですが、まず何か作るとしても、身の回りのことが出来ていないようではスタートラインにも立てていない気がしているのです。
そして、矛盾するようですが、もしかすると自分は何か生み出さなくても良いのかもしれなくて、ただ実感のある暮らしがしたいだけなのかもしれないという予感もあります。
紀佳さんのようにどんな小さな草花からも色や形を見い出し、繊細な感性を持ってして毎日を過ごしていけたら、これほど豊かなことはないかもしれません。
次回の更新もどうぞお楽しみに。
うかがった人
石田紀佳 / フリーランスキュレーター、バッチフラワーレメディプラクティショナー
世田谷ものづくり学校にて、無料の公開庭仕事を週に一度ほど行っています。
詳細はこちらから 巡る庭:http://meguruniwa.blogspot.jp/
季節の草木と手仕事のお知らせ
草木と手仕事:https://www.facebook.com/plantsandhands
草作家矢谷左知子さんとの共同ブログ
草虫こよみ:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
朝日カルチャーセンターとNHK文化センターにて季節の手仕事講座開催
柿渋ぬりのちりとりづくり
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/448fd42c-345e-4009-b03a-5b5178db19dd
コンニャクづくり
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1151732.html
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1161486.html
著書:
藍から青へ 自然の産物と手工芸 建築資料研究社
草木と手仕事 plants and hands 薫風堂
魔女入門 暮らしを楽しくする七十二候の手仕事 すばる舎
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この記事のライター
Yu
趣味は見ることと食べること。 アート/民藝/工芸/古いもの、食、ナチュラルケアやセラピーに興味があります。 美術大学卒業後、プロダクトの企画や暮らし周りの編集に携わってきました。